抜け殻というと
中身がなくなってぼぉっとした人を指す言葉として使われますが
実際に蝉の抜け殻をじっと見ていると
そんなぼんやりしたものの例えにするには
もったいないなと思えてきます。
中身はないけれどほぼそのままの姿、
細い足も足先の爪のようなものも
くっきりと残っている。
しかもどの蝉も脱皮する時の姿勢が同じ。
抜け殻の意味を
中身がなくなったことにフォーカスするんじゃなくて
精密さ・正確さ・礼儀正しさ、みたいな意味に使ったらいいのでは。
そうすれば蝉たちの脱ぎ上手さも
もう少し評価されるんじゃないか
なんて思う盛夏でありました。
でも脱ぎ上手はちょっとアレですかね(汗